屋上に取り残されたバスが津波の威力を物語る |
石巻市雄勝町地区も大きな被害となったところ。
雄勝病院は、患者・職員のうち9割。
雄勝小学校では、全校児童・職員の7割が、いずれも死亡・行方不明となった。
ここも地盤沈下と台風の影響で冠水状態 |
次も学校で、石巻市立大川小学校。
児童108名中70名死亡、4名行方不明。
教職員13名中9名死亡、1名行方不明。
新北上川の河口から5kmの場所に位置している。
避難計画では、津波が来るのは3km程度とされていたので、ここが避難所とされており、他の避難場所の計画は無かった。
子ども達が裏山に避難していたら…悔やまれる |
地震が発生し、校庭に避難。点呼後に、裏山の高台(二枚目のパワーショベルが写っている画像)か、近くの緩やかな高台かに、避難することを検討し、緩やかな高台になって、移動し始めたところに、新北上川を遡ってきた巨大津波が堤防を乗り越えて、子ども達を飲み込んだ。
この時点で、地震発生から50分が経過していたとのこと。
しかも、安全とされていた海岸から5kmの地点。
避難先の意見が対立して、最悪の選択肢なったことを責めることは出来ないと思う。
裏山は険しく、当時、子ども達の他に避難してきていたお年寄りのことも考慮されてのことだという。
関係者以外立ち入り禁止の校舎 |
ただ、避難しようとしていた子ども達の目の前に現れた津波の恐怖はどれほどだっただろうか。
冷たかったでしょう。苦しかったでしょう。
必死に、子ども達を守ろうとした先生達は、無念だったでしょう。
学校の横に設けられた献花台には、今も多くの花が捧げられている。
いまでも、4名の子どもが行方不明となっている。
運転してくれている松本さんのはなしでは、保護者のお一人のお母さんは、諦めきれずに、ご自分で重機の作業免許を取得し、探し続けているという。
悲しすぎませんか。
死体が確認されただけ、良いのかもしれない。
行方不明でいることは、とてもしんどいと思う。
献花台には今なお多くの方が訪れる |
口座からの引き出しなどの各種の手続きが進むなどの理由から、死亡扱いにすることも少なくないという。
被災地を訪れる場合に、今も4500人の方が見つかっていないということを肝に銘じるべきだと感じた。
【写真復元プロジェクトへ続く】
日本一心
震災前の大川小学校とその周辺(Google) |
震災後の大川小学校とその周辺(Google) |
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