2011年9月23日金曜日

③東北ボランティア2日目:宮城県石巻市大谷川地区

早朝、激しい風と打ち付けるような雨音で目を覚ます。
台風15号が接近しているとのことで、石巻市の牡鹿半島大原浜地区の海岸も大時化だ。
午前6時前に、震度3の余震が起こった。
余震が来る数秒前に、地鳴りのような「ごごぉー」という音がして時期に揺れがきた。
聞けば、被災地での余震はこのように地響きが鳴って数秒後に揺れが来るらしい。
私のiPhoneの緊急地震速報は、揺れがきてから10秒後程度になった。。。

おそっ。

あいにくの天候で、外作業はキャンセルされ、お世話になっている絆支援ベースの写真復元プロジェクトのお手伝いさせていただくこととなった。
宿泊した大原浜地区の集会場から車で1時間程度の福地体育研修センター。
移動は、浜松からボランティアに来ているサムライさん(松本さん)の車に乗せていただくことになった。

まず、山を越えて牡鹿半島の反対側に当たる、谷川浜地区にでる。
この地区の小学校、谷川小学校の廃墟に遭遇した。


校舎の時計は、おそらく津波の襲来時刻と思われるところで止まっている。
これは谷川小学校に関わらず、被災した他の学校も同様だ。
やや高台にあった小学校から下ったところに大谷川浜地区がある。

いや、正確には、そこに大谷川浜集落があった、という表現が適当なのかもしれない。

30戸100人ほどが暮らしていたというが、津波でほとんどの建物が流失。
引き潮の力で、海に持って行かれほとんど何も残らなかったという。
残ったのは1戸のみ。
集落は壊滅した。

現存するのは建物は一軒のみ

後に知ったが、自治会としての大谷川集落も解散を決めたというのだ。
自治会が「解散」するなんて、聞いたことがない。
一向に示されない復興計画や支援の遅れもあり、地域はバラバラになった。

写真からもわかる通り、更地に雑草が生えているだけだ。
だが、たしかにここには小さな集落があり、
ホタテやホヤの養殖でつつましくも豊かな生活が、そこにはあったはずだ。
31人が死亡あるいは行方不明となった。
それに加えて、住民も離ればなれになった。

私も聞いたことがなかった集落だったが、今回の大震災はこのようにほとんど報道がされない、小規模集落がたくさんある。
私は、この目でみてきた。
本当にたくさんあるのだ。

吉村さん達が支援している大原浜地区も実は同じ様な状況に陥っていたが、ボランティアが入り、地域を支えている。
よそ者が、地域の魅力を感じ、地元の方々を励まし、一緒に地域を支えようとしている。

一人ひとりにできることはまだまだ沢山ある。
【続く】

日本一心





震災前の谷川小学校(右下)と大谷川浜地区

震災後の谷川小学校(右下)と大谷川浜地区

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